彼がこの町へ帰ってきたのだと聞いた。
「(どおりで、ポケモンたちが騒がしいわけだ…)」
ポケモン大好き人間の彼はどうやらポケモンたちにも同様に好かれているらしく、それは彼の手持ちに留まらない。このマサラタウンのポケモンたちは彼がここへ帰ってくるたびに、いつもより少しだけざわざわと騒がしくなる。まるで、町中の仲間達に彼の帰りを知らせるように。
「(しかし、どんぴしゃなタイミングに、帰ってきたものだ)」
机の上のカレンダーに目を向ければ、とある日にちを囲んだ赤丸。めずらしく、今年はこれが無駄にならなかった。そのまま隣のデジタル時計に目を走らせると、表示されているPM10:05の文字。
非常に微妙な時間だ。あたしたちぐらいの年頃ならまだ大抵は起きている時間。しかし…彼はどうだろうか。本当のところどうなのか知らないけれど、あいつは早寝早起きしてそうだ。もう寝てるかもなあ…。
「(…まあ、そんときはそんときで)」
ポストにでも入れておけば良い。
そう結論付けて、時計のもう一つ隣、無駄になること覚悟で買った四角い箱を手に掴む。いったい今までいくつの箱を無駄にしてきただろうか。本当に今年は、めずらしい。
壁にかけてあるパーカーを羽織り、部屋のドアに手をかける。しかし暫し考え直して、踵を返しクローゼットの中からスカートを取り出した。さすがに下スウェットのままじゃあ、ね。パーカのポケットに箱を押し込み、とんとんと階下へ降りて玄関へ。ガチャリと開けたドアの外から入り込んできた秋の匂いが、胸をいっぱいにする。
「いってきます」
いざ、徒労にならないことを祈って。
どうやら、徒労にならずに済んだようだ。
我が家からチャリで数分。マサラが小さな田舎町でよかった。空気はおいしいし、ポケモンはたくさんいるし、世界的に有名なオーキド博士はいるし。マサラ万歳。
そんな自然が豊かなこの町によく似合った可愛らしい一軒家にまだ電気が灯っているのを確認し、チャイムに手を伸ばす。
ピンポーン。
はーい!だなんて、決してハナコさんのものではない元気な声とドタバタ騒がしく近づいてくる足音に、頬が緩んだ。パーカのポケット、突っ込んだ右手の指先にこつりと当たった小さな箱をぎゅうと握る。
ガチャリ、
「…ッ!?」
「よっ」
パアアと明るく輝くサトシの顔に、両手はポケットに突っ込んだまま、短く一言だけ可愛くない返事をする。
久しぶり!元気だったか?と騒がしく問いかけてくるサトシに思わず漏れる苦笑。本当、こいつは変わらないなあ。犬の尻尾が見えてきそうなほどはしゃぐ彼に、左の手のひらを向け一旦ストップのジェスチャー。それを見てなんだよ?と首を傾げるサトシ。君があまりに捲くし立てるから、あたしが言葉を挟む余裕も無いんだよ。
「…サトシ、おかえり」
「あぁ。ただいま」
「んで、早速で悪いんだけどさ」
「ん?」
「今からサトシの時間を、二時間だけちょうだい?」
「久しぶりに帰ってきたんだしさ、ちょっとそこらへん散歩でもしようよ」
そんなことを言って、サトシを外へ誘い出す。どうやら日中はほとんどオーキド研究所にいたようで、久しぶりの町並みを隣でひどく懐かしがっていた。
二人で見慣れた町を、あてもなくぶらぶら、ぶらぶらと。徒然なるままに歩いて行く。今回のイッシュでの旅はどうだったのかと聞けば、サトシは嬉しそうに旅のことを話し出した。
一緒に旅をした仲間のこと、出会った人達、新しいポケモン、巻き込まれた事件、そしてイッシュリーグのこと。
話の内容以上に、輝いた顔と弾んだ声でわかる。今回の旅もすごく楽しかったんだなあ。たくさんの、尊い出会いをしてきたんだなあ。
「それで、また明日から旅に出ようと思うんだ」
「…は?」
「行き先は、」
「ちょ、ちょっと待て待て。え、旅?また、…はいつかは出ると思ったけど。え、いつ?明日?」
「あぁ。明日」
「…はあぁぁ」
思わず溜息が出る。どうせすぐ旅に出るのだろうとは思っていたけれど、帰ってきて次の日とは、なんとも忙しないこと。まったく、今日サトシを訪ねたのは大正解だったというわけだ。危ない危ない。
「まったく…随分突然だね」
「思い立ったら吉日って言うじゃんか」
「はあ……。っふ、サトシらしいや。それで、次はどこ行くの?」
「さっき話したパンジーさんの故郷で、カロス地方。まだ見たこともないポケモンがたくさんいるんだぜ」
「カロス、かあ…」
それは、また遠いとこに行っちゃうんだなあ。
カロス地方、なんだかオシャレな雰囲気のするその場所はあたしもいつか行ってみたいとは思っていたけれど、サトシの方が先になるのか。
「それでさ、今度はも、」
「あ、サトシちょい待ち」
「えぇ、またかよー。いったい何なんだ?」
「んー、ちょっと待ってねー」
ふと思い出してポケットから出した左の手首を見れば、そこに巻かれた腕時計の長針と短針がもうすぐ重なろうとしていた。家を出てから二つの針はもうすでに一回は交わっている。つまり、今度針が重なるときとは、。
さあ、あとは秒読み。5、4、3、2、1、
カチッと針と針がぴったり重なったのを確認して、サトシの方へ向きなおす。自然と、笑みが零れた。
「ハッピーバースデー、サトシ」
「……え、あれ。今日だっけ!?」
「あっはは、やっぱり忘れてた」
そうだよね。抜群のタイミングで帰ってきたのだとしても、彼がそれを計算していたはずがない。それでも、この日に彼を故郷に帰してくれた偶然に、あたしはとても感謝しているよ。
照れくさそうに頭を掻くサトシに、右の手の先にこつんと当たっている小さな箱をポケットから取り出す。
「はい、プレゼント」
「えっ、本当か!?準備いいな!」
「まったく、今年は無駄になんなくてよかったよ」
「え?」
「あー、気にしない気にしない」
開けても良いか?と尋ねるサトシに、どーぞ、と一言返す。シンプルな包装紙を剥がし、中の紺色の箱の蓋を開ければ、サトシの手がその中から細長い何かを取り出す。シルバーのチェーンの先にキラリと光る、青い六角形。
「これ…」
「パワーストーンのネックレス。普通に男でも付けられるデザインだから。まあ、お守り代わりにさ」
「かっこいい!、ありがとうな!」
満面の笑みを浮かべて早速首にネックレスを付けるサトシに、一日中かけて選んだかいがあったとこちらも笑顔になる。
どうだ?と見せてくるサトシに、いーじゃんと親指を立てる、
『異性にアクセサリーって、それって首輪とかそういう意味が、』
ふと、耳の奥で再生される声。いつだったか、誰だったか、話していたこと。
きらりと彼の胸元で輝くそれを見て、途端ぼぼぼっと顔が燃えた。
今までそういうの意識してなかったけど、首輪…とか全然そういうのじゃなくて!ただたんに、やっぱり旅は危ないし、こいつの性格上積極的に事件とかそういうのに関わっちゃうから、少しでも守ってくれますようにって、そういうお守り代わりなだけで!そんな、旅にあたしの関連するものを持って行って欲しいとか、変な虫つかなければいいな、とかそんなことはこれっぽっちも!!
「?」
「な…なんでも、ない」
大丈夫、暗いから、顔が赤いのバレてない、はず。
ぱたぱたと熱くなった頬を冷ますように手で仰ぐ。そうだ、これはただのお守りだ。どうせだったらかっこいいのがいいなと思って選んだのが、ネックレスだったというだけで。そう、それだけなんだ、他に深い意味はないさ…。それにサトシも気に入ってくれたようだし、それでいいじゃないか。うん…。
こほん、としきりなおすように咳払いを一つする。
「まあ、気に入ってくれたようでなにより」
「あぁ。本当にありがとうな!」
「うん、今日渡せて本当によかった。またしばらく会えなくなるしね」
「…あぁ」
「明日の見送りもさ、あたし行かないから」
「えっ!?」
予想通りの反応に、くすりとまた笑みが漏れた。
「冷たいなあ。幼馴染のよしみじゃないか。の言った通り、また暫く会えなくなるんだぜ?」
「…でも、行かないよ」
「なんでだよ」
「あたしも一緒に行きたくなっちゃうから」
「そのことだけど、」
一回、サトシが言葉を区切る。胸元のパワーストーンが近くの街灯に反射してきらりと光った。それに思わず目を細める。
サトシが何を言おうとしているのかは、なんとなく想像がついた。
「もカロスに行かないか?また一緒に旅しようぜ」
「…行かないよ」
「なんで!」
「あたしは、行かないよ」
旅は嫌いではない。前に一緒にサトシと一緒に旅をしていたことがある。楽しかった。バトルが強くなるのは嬉しいし、新しいポケモンとの出会いは心躍る。できるのなら、またあたしも旅に出たいと思っている。
けれど、あたしは行かない。少なくとも、もうサトシとは一緒に行かない。
頑として譲らないあたしにサトシはしばらくむくれていたが、やがて諦めたのか膨れた頬から空気を吐き出した。
「………わかった」
にはの考えがあるんだもんな。
そう言って手を頭の後ろで組み、サトシはへらりと笑った。
彼は人の意思を尊重する。だから、こんな風に執拗に食い下がることはめずらしい。それほどあたしと一緒にまた旅をしたいと思ってくれているんだと思うと、少しだけ胸が痛んだ。
それでも、あたしはもう君とは一緒に行けないよ。
「カロスでたくさんバトルして、いっぱいポケモンと出会って、次こそカロスリーグの優勝カップを持って帰るんだ!」
「…ん」
「そんで、行く末はポケモンマスター!!」
「うん」
夢を語るサトシの顔が眩しくて、とても好きだと思う。
サトシのことが、好きだ。とても好きだ。大好きだ。
だから、サトシとは一緒に行けない。彼の近くにいると、"好き"が溢れてしまう。胸の奥底に封じ込めた想いが溢れて零れて、どうしようもなくなる。
サトシの夢へと進む道に、恋はいらない。
「頑張れよ!めざせ、ポケモンマスター!!」
「おう!!」
新たな門出を祝福するような満天の星空の下、サトシの背中をばしん!と叩く。
応援したい。誰よりも、何よりも尊い君の夢を。ほんの少しでもいい。君の力に、あたしはなりたい。
そうしていつか君の夢が叶ったそのときに、胸の奥底大事にしまったこの想いを伝えることができれば。叶わなくてもいい、あたしはすごく幸せだ。
愛おしいんだ。君という存在が生まれてきてくれた今日というこの日が、涙が出るほど愛おしい。そんな尊いこの日から新たに始まる君の道が栄光と幸福に満ちていることを、何よりも願っている。