不幸というものは連鎖する。
まず、ここ二、三日ほぼ徹夜で仕上げた今日提出のレポートを鞄に仕舞うことを、学校に着いてから思い出した。昼、弁当も鞄に入れ忘れていたことに気づき急いで購買へ向かったら、おにぎりもパンも、昼御飯にできそうなものは全て売り切れていた。自販機で冷たいお茶を買おうとしたら後ろから人にぶつかられ、その拍子に指が誤ってホットコーヒーのボタンをプッシュしていた。しかもブラック飲めないんだけど。
帰り道、通る信号全てが赤く染まり私を足止めして、結果駆け込んだ駅のホームで乗るはずの電車が目の前で扉を閉めた。そのせいでバイトには遅れ店長にねちねちと叱られ、レジにてお客様がポイントカードを渡す前にさっさと帰ってしまったためまた店長にこっぴどく叱られた。はじめのはともかく、二つ目のは私絶対何も悪くない。
この時点でもう心が折れそうだったから、お気に入りの音楽を聴いて元気を出そうとiPodを取り出せば充電切れ、それならばこないだ出た好きなアーティストの新譜を借りて元気を出そうとレンタルショップに寄れば貸し出し中。何も持たずに帰るのは悔しいから、映画を一本借りてきた。
そして最後、駅の階段。止めだとばかりに地面に足をつける三歩前で盛大に転んだ。周りの人達はぎょっと目を剥き、後ろで「うわー…」なんて声が聞こえた。
そんな感じで今日の私は不運に不運を重ね、失敗に失敗を重ね、痛手を負い、そりゃもうぼろぼろだった。肉体的にも、精神的にも。
一つ一つは小さなことでも、それら全てが積み重なればさすがに堪える。惨め過ぎる自分の状況に涙が出そうなのを堪えながらずんずんと早足で帰路を急ぎ(ちなみにその途中も何回かこけた)、目当てのドアが目に入った瞬間飛び着くように扉を開け、中に踏み入り部屋のソファにダイブする。「おかえりー」頭上から私を迎える声が掛けられるがちゃんとした言葉を発する気力もなく、うー、だとか、あー、だとか獣のような唸り声を上げて、ソファの端のクッションに顔を埋めた。
全く、散々な一日だった。惨めな一日だった。もう、このまま寝ちゃおうかな。あ、服皺になっちゃう…、でもなんかもう、どうでもいい……。

、ほら起きて」

不貞寝を決め込もうと意識を手放す寸前だった私を無理やり引き上げる、彼の声。続いて彼の手までもが降って来て、私の腕を取り身体を起こす。嫌だ、今日はもう何もしないんだー、と小さい子が駄々をこねるように抵抗をすれば、視界に入る白いマグカップ。その中で茶色い液体がゆらりと揺れた。

「カノさん、これ」
「ココア入れてきたから。、甘いもの好きでしょ」
「…いただきます」

乱れた服装と頭を軽く整え、彼からマグカップを受け取る。猫舌の私のためにいれてくれたホットココアは熱すぎないほどよい温度で、ほわりと優しい甘さが口中に広がった。

「…美味しい」

一言漏らし、こくこくと無言でそれを飲み続ける。
昔、何かの物語で読んだホットチョコレートのことを思い出していた。不思議な男が金の茶わんに注いでくれたチョコレートドリンク。主人公を元気にしてくれたそんな魔法の飲み物が、手の中のこれとどうしようもなく被る。
まあ、これはホットチョコレートではなくてただの市販の粉末ココアだったのだけれど。けれど、どうして彼がいれるとこんなに美味しいのだろう。にこにこと笑みを浮かべながらこちらを伺う彼にそっと目をやって思う。
カノさんは、魔法使いなのかもしれない。

「ごちそう様でした」
「元気出た?」
「…ん」

元気出た。今日一日過ごす程にどんどん深くなって行った眉間の皺が全てさっぱり、綺麗に無くなるほどには。中身の無くなったマグカップをカノさんが受け取り、テーブルの上にことりと置く。そのまま彼の右手が私の方へと向かって来た。何もせずにその手を受け入れれば、私の頭に降り立つ右手。優しく、髪を梳くように撫でられる。

が頑張ってること、ちゃんと知ってるよ」

やっぱりカノさんは魔法使いだった。
惨めで散々で、かっさかさにささくれた私の心を、こんないとも簡単に癒していく。ふっ、と気持ちが緩んでずっと堪えていた涙腺が決壊した。ふ、ふえ、と嗚咽を漏らしながらカノさんの胸に飛び込めば、左手が背に回され、とんとんとあやす様にゆっくり叩かれる。

「お疲れ様、頑張ったね」

うん、私、頑張ったんです。でも努力だけじゃどうにもならない日ってのも確かにあって。理不尽に降りかかる不幸の星。そんな全てが最悪になるはずだった一日に魔法をかけて、ちょっと幸せを混ぜ込んでくれたのは彼の魔法の手。私にとって、とっても偉大な魔法使い。

「カノさん…一緒に借りてきた映画見てください」
「いいよ。ココアのおかわりいる?」
「ココアはいらないから、手、繋いでて欲しいです」

頭の上から降りてきた右手を、私の左手でぎゅうと握る。いいですか、と小さく漏らせば頭上から笑い声が降って来た。

「もちろんさ」

彼のほうからもぎゅうと握られ、どうしようもなく幸福な気持ちになる。
あぁやっぱり、彼の手は私にとって紛れもなく魔法の手なのだ。