高校生はやらなくてはいけないことがたくさんある。
授業の予習復習に出された課題、週に何回かある小テストの勉強。それに加えて部活動やその自主練。放課後には寄り道もしたいし、この間できたばかりのアイスクリーム屋も気になる。買い物だってしたい。夜は友達とのメールのやり取り、深夜に見たいテレビもある。ゲームもしたい、漫画や雑誌も読みたい。
高校生は大変多忙なのだ。
だからあたしたちは手を抜くことを覚える。
予習ノートの写し合いだとか、密かに出回っている小テストの出題される問題の調査だとか、授業中の居眠りだとか。そうしなくてはやってられない。やらなくてはいけないこともやりたいことも星の数程あるのだから。
しかし、それに対してあたしの幼馴染はとても不器用な奴だった。手の抜き方を知らないやつだった。何に付けても一生懸命。常に全力。だから疲れる。きっと一日の疲労量は上手く手を抜きながら過ごしているあたしより遥かに多いのだろう。
だからこうなる。
「遅いわこの馬鹿ああああ!!!」
「わ、悪いって!目覚ましが鳴らなかったんだよ…!!」
「目覚ましは鳴ってたわ馬鹿!!枕元に目覚ましの残骸が残ってたってサトシママ言ってたぞ!!」
毎日何事にも一生懸命な幼馴染、サトシは、人より多くの睡眠を要する。
つまり寝坊がやたら多いのだ。前にこいつはどれだけ夜更かししているんだと思い、何時に寝ているのかと尋ねてみたところ、9時だと答えが帰ってきた。10時間半睡眠だ。こいつは小学生か。というか、それでも睡眠足りないのか。
鞄を背負い、全速力でバス停までの道のりを走りながらサトシに馬鹿、馬鹿!とどやす。それに対して彼は口が咥えた食パンでいっぱいで何も返してこれなかった。馬鹿野郎。十字路を曲がった所で美少女転校生とぶつかってしまえ。
「ひ、ひふぁはんひっ」
「は?何言ってんのかわかんないって」
「…っ、今何時だって!!」
「えー…、7時52分!あと3分でバス出るよ!!」
「うわああ、やばいじゃんか!!」
お前のせいだっ。サトシをどつこうと腕を上げたら、突然速度を上げやがった。「え、」途端、どんどん広がるあたしとサトシの距離。「先行ってる!!」はああ!?先行ってる!じゃねえよ!!あたしはあんたを待ってたから遅刻しそうなのに、一人だけ先行くな!!文句を言おうにも、バリバリの文化部のあたしは今まで全速力してきたせいで息が乱れ、言葉を発することができない。運動部で毎日走りこみをしているサトシとの距離は依然開くばかりだ。
しかしここで走るのを止めるわけには行かず、霞む視界でがむしゃらに足を動かし続ける。ちらりと腕時計を見たら、時間は7時57分。あ、これもう駄目だわ。バスもう出ちゃってるわ。結局あたしだけ遅刻かよ、サトシ学校ではったおす。
しかし 、速度を落とし十字路の角を曲がった所で、
「ー!早くー!!」
幼馴染がバス停で声を上げ手を降っていた。傍らにはバス。運転席から運転手さんの苦笑が見えた。
あいつ、バス止めててくれたのか。
「サトシでかしたーっ…!!!」
最後の力を振り絞り、バス停まで足を運ぶ。気分は駅伝の最終ランナーだった。
とりあえずサトシ、疑ってごめんね。今度ブラックサンダーくらいなら奢ってあげる。
『次はー○○駅前ー、次はー○○駅前ー。お降りのお客様はー…』
ガッデム。
あたしは前方の電光掲示板を睨んだ。右肩に感じる温もりが、微かに身じろぎする。そちらの方に向き、その肩をがくがくとゆすった。
「ほらサトシ、降りるよ、着いたよ」
「んー…、あと5分…」
「待てるか」
ぱしんと頭を叩く。
それでもサトシは目覚めなかった。
「ほーらぁー、バス停過ぎちゃうよー」
「うー…ん…」
「サトシィー」
「あと少し…」
「だーかーらー……あ、」
いつまで経っても目覚めないサトシを先よりも強く揺する。それでもなかなか起きないサトシに苦戦していたら、とうとうバスは降りるはずのバス停から発車してしまった。
「あーもう!出ちゃったじゃん馬鹿!!」
「ごめん…ママ……」
「誰があんたのママだ」
ばしん、と再度頭を叩く。
それでもやっぱりサトシは目覚めることはなかった。こいつ、すげえな。
「あーもう…次のバス停で降りなくちゃ…」
それまで何とかして起こそうと、改めて彼に向き直る。
すると…なんとまあ、幸せそうな寝顔。少し呆気にとられ、男のくせにやわらかそうな頬を突いてみた。こいつ、何気肌綺麗だな、むかつく。
そのまましばらく突いていると、だんだんと眉間に皺が寄ってきたので止めた。なんだか完全に毒気は抜かれていた。座りなおし、窓の外を見ると、雲一つ無い快晴。学校に篭っているのがもったいないぐらいの。
肩に再度ぬくもりを感じながら、鞄から携帯を出し、メールを作成しだす。宛先は、あたしと同クラスのヒカリと、サトシと同クラスのハルカ。
高校生は大変多忙だ。大変忙しい。だからまあ、一日ぐらいゆっくり休む日も必要でしょう。
あたしとサトシが今日は欠席するという旨のメールを送信完了し、鞄の中にしまう。それと入れ違いに音楽プレイヤーを取り出す。耳に嵌めたイヤホンからは、窓の外の青空と肩に寄りかかる彼の寝顔に相応しい、穏やかな曲が流れていた。
「んー…、あ?」
「あ、起きた?」
目を覚ましたサトシは酷く呆けた顔をして「ここ、何処だ?」と漏らした。
その様子があまりにもおかしくて、笑いながらぱしんと頭を叩く。本日3回目。「痛い…」それに対して不満そうに口を尖らせながら、再度サトシは問いかけてきた。
「ここ、何処?」
「さあ」
「さあって…学校は!?」
「さぼり」
「はあ!?」
「あたしは何度も起こしたっつーの」
「はあ!?どっどういう、」
『次は終点ー…』
「「あ」」
二人して声を漏らす。終点まで来たのは初めてだった。窓の外には知らない景色が広がっている。
「とりあえず降りるよ」
「あ、あぁ」
バスの行き着いたその停留所は、随分と寂れた場所だった。雨風に晒されてきたのだろう、錆びている古いバスストップに、コーラの宣伝文句の書いてある赤いプラスチックのベンチが一つ。車もあまり通って居なかった。
「どこだ、ここ」
「さあ…」
「何でこうなってるんだよ…」
「あたしが何度も起こしたのにどっかの誰かさんが一向に起きなかったから」
「う…わ、悪い…。て、学校!早く戻るぞ!!」
この男は案外真面目だ。
授業中は居眠りするし(起きている時は真面目に授業を聞いているのだ。しかし、しょっちゅうスイッチの切れたように眠りだす)、テストの点もあまりよろしくないくせに、学校生活におけるほとんどの行動は真面目なのである。遅刻早退欠席はほとんどないし(遅刻がないのはあたしが毎朝ひっぱっていっているからでもあるが)、あいさつもしっかりやる。先生受けも非常によろしい。だからサボるなんていう選択肢は、こいつのなかにははじめからないらしい。
しかし。傍らのバス停に張られている黄ばんだ時刻表を指す。
「次のバス来るの、1時間後」
「まじかよっ」
「それから行ってもしょうがないっしょ」
「本当にサボる気なのか!?」
「まあまあ。定期テストもこないだ終わったばっかだしさ。それに今日、あんたのクラス小テストもないでしょ?」
「無いけど…なんで知ってんだよ」
「ハルカが昨日騒いでなかったから」
サトシと赤点仲間のハルカ。彼女は、小テストの前日はいつも決まって騒ぎ出す。
ちなみに、うちのクラスも今日は小テストはない。
「それに、ヒカリとハルカに、あたしたち今日休むってメールもうしちゃったし」
「早いな!」
「だからさ、今日はサボっちゃおうぜー。
なんか、こないだ見た映画みたいじゃん?」
サトシは真面目な男だ。しかし、それ以上に好奇心というか、冒険心の強い男である。
映画みたいじゃん?そうにやりと笑いながら言った言葉に対して、学校を逃避行した数人の高校生の青春映画を思い出したのだろう。うーん、と唸った後、最終的にサトシもにやりと笑い返してきた。
おーけい、本日学業休業日。決まりだ。
寂れたその場所は、特に何かがあるということはなく、二人して何ともせずにぶらぶら歩く。
空は快晴、風は穏やか。絶好のサボり日和だ。スクールバックをリュックのように背負い、思い切り背伸びをする。鞄につけているキーホルダーがじゃらり、と鳴った。
「あっ、おい見ろよ!!」
突然声を上げだす隣の幼馴染。はしゃいだようなその声に誘われて彼の指さす方向を見れば、一軒のコンビニ。
なんともまあ、こんな寂れた場所にもコンビニはあるのか。途端、ちょっとした空腹に襲われる。
「ラッキー、なんか買ってこ!」
「もう11時だしなー、そろそろ腹減ったぜ」
「ねえ、何買う、何買う?」
「とりあえず腹に溜まるもんかな」
「あたしポテチ買おー」
いらっしゃいませーという店員のやる気のない声を後ろに、わいわいと騒ぎながら店内を物色していく。
おにぎりに惣菜パン。ポテチ、チョコスナック、炭酸飲料。
ぁざましたー、とやはりなんともやる気のない声の店員に商品の入ったビニール袋を手渡せられる。お世辞にも健康的とはいえないチョイスの品物が、ビニール袋をがさごそ鳴らした。
入り口近くで漫画雑誌を読んでいたサトシに声をかけ、自動ドアをくぐれば、涼しい店内とは違い熱気を含み出した初夏の空気に襲われる。頭上にはギラギラと輝く太陽。「まぶしー」「やっぱアイス買えばよかったなー」そう言い交わすあたしたちの間を、不意にさわやかな風が駆け抜けた。
「ん?」
「え、どした?」
「海の匂いがした」
「えぇっ、まじで!?」
「…っ、おい、見ろよあそこ!」
「えー…、うおー、本当だ!!」
獣じみたこいつの嗅覚が感じ取った磯の香りを探して見れば、確かに先にのほうに見える煌き。普段あまり目にすることのない海に、二人してはしゃぎ我先へとそちらへ向かって駆け出す。
眩しいばかりの太陽光線がじりじりと肌をやく。初夏の日差し、油断できないな。おまけに全速力で走っているため、じわじわと噴き出す汗。けれどそんなことはこれっぽっちも気にならない。
少しばかり走り、漸く着いた浜辺にいよいよ二人のテンションは最高潮、「海だー!!」なんてお決まりの台詞を叫びながら、磯の香りでいっぱいの浜辺を蹴った。
「うわー、まじで海だ!!すげえ!」
「あのバス、こんなとこまで続いてたんだなー。ちょっと俺、水際まで行ってくる!」
「あ、ちょっと待って、あたしも行く!
あ、靴脱いでこ、靴」
「俺も!」
履いていたローファーを脱ぎ、その中に靴下まで入れる。背負っていた鞄を脇に下ろせば、汗でじわりと湿ったそこを風が撫で、すうっと涼しくなった。
隣でスニーカーを脱ぎ、スラックスを膝の辺りまで折っているサトシを片目にビニール袋から炭酸飲料を二本取り出す。
雲一つ無い快晴より降り注ぐ太陽光線は、それでも夏のそれよりは激しくなかったようで、踏み出した砂浜はそこまで熱くなかった。足を入れた海水も、記憶のなかのそれより少しばかり冷たい。
「あちー、超汗かいた」
「海冷てぇ!気持ちいいな!」
「えいっ」
「わっ、やめろ、制服濡れる!!」
「あははっ」
海の水面をサトシに向かって思いきり蹴ったのをきっかけに、水のかけあいが始まる。空中を飛び交う水飛沫に光が反射して、きらきらと輝いた。辺りに人はいなく、二人の子供のようにはしゃいだ声だけが響いている。
高校生は大変だ。まだあたしたちは子供でいたいのに、周りは早く大人になれと急かしてくる。理想と現実のあまりの違いに日々辟易し、疲労していく。
だからこんなにも純粋にはしゃいだのは久しぶりだった。そう、あたしたちはまだまだこんなことをしていたいのだ。大人になるだなんて、まだまだもっと先。将来なんてまだ見えないし、見たくもない。
今頑張らないと碌な人生おくれなくなるだなんて押し付けられるけど、頑張りすぎて今を見失っちゃ終わりでしょ。高校生、今この時期はもう二度と訪れないのだもの。こんな馬鹿みたいなことやれるのはきっと今のうちだけだって、わかってる。だからあたしは今を全力で楽しみたい。どうなるかわからない将来なんてものより、高校生を最高に楽しみたい。それが正解であれ、間違いであれ。
そうして暫く、二人して全力ではしゃいでいた。そのうち疲れ果て、ぜえはあと肩で息をしながら膝に手をつく。どちらともなく笑いが零れる。額から流れる雫は、はたして汗なのか水飛沫なのか、区別もつかない。
笑いながら、先程ビニール袋から取り出したうちの一つであるオランジーノをサトシにほおる。サトシは同じく笑いながらそれを手に取り、キャップを外せば途端吹き零れるペットボトルの中身。すぐさま制服からペットボトルを離して慌てたような声を出すサトシに、また笑いが零れる。
炭酸吹き零すのこれで何度目よ、そろそろ学習しろ。
対して微炭酸であるあたしのマッチョは蓋を外しても無事吹き零れることはなく、それを一気にあおった。頭上の青に煌く太陽が眩しくて目を細める。
夏はまだこれからだ。