その路上で彼女を見つけたのはほんの偶然だった。
ある夏の日の夜。窓から見えた星の輝きに誘われて、なんとなく散歩に出かけてみた。
日中は病気になりそうなほどの暑さでも、夜になればだいぶ過ごしやすい。夜風にフードを揺らしながら、当てもなく歩く。ぶらぶら、ぶらぶら、と。そんな僕の耳に、ある旋律が聴こえた。
誰かが歌っている。
なんとなくそれに誘われて、その旋律を辿るように探し歩く。
やがて、先月閉店した店の古びたシャッターの前でストリートライブをやっている少女に辿りついた。
ギターを掻き鳴らしながら、誰に訴えるでもなく少女はただ歌う。閑散とした通りを過ぎる人々は、ある人は目もくれずに過ぎ去り、ある人は少し立ち止まり耳を傾ける。
しかしその少女はそんなこと意にも介せず、ただただ歌い続ける。
何かが特別優れていたわけではない。何か異様なものがあったわけでもない。なのに、不思議と彼女の歌に、声に、酷く惹かれていた。
周りの立ち止まった数人もそうなのだろう。数は少ないけれど、皆一様に穏やかな顔で一心に耳を傾けている。
やがて旋律は止まり、辺りにぱらぱらと拍手がおこった。それに少女は小さく会釈し、またギターを構え新しい旋律を奏でだす。
聴衆たちは、やがて満足げな顔をして去って行く人もいれば、未だ留まって聴き続ける人もいた。そうして何度か観客は入れ違い、最後の曲が終わる頃には僕だけになっていた。
満足げな顔でギターを下ろす彼女にぱちぱちと拍手を送る。小銭がぱらぱらと入れられたギターケースに、僕も歩み寄り端金を入れた。
「いい曲だね」
「そう?ありふれてるって、よく言われるけれど」
「うーん…なんて言うのかなあ…。
声?雰囲気?何となく心地よくてね、惹かれたよ」
「へえ…それは嬉しい。ありがとう」
そう言い、彼女はギターケースに散らばっている小銭をポーチに仕舞う。肩から下ろしたギターは通りの古びた電球に照らされ、きらきらと輝いていた。
「さっきの曲、君がつくったの?」
「うん。作詞、作曲、私。曲をつくるのも、楽器を弾くのも、どっちも好きなんだ」
ギターの仕舞われたケースを背負い、にぃっと笑いかけてくる。なんとなく、彼女の雰囲気がさっきの曲たちにぴったりだった。さっきの曲たちが人の形をとったなら、今目の前にいる少女の形になるのだろう、そんなことを思った。喩えるのなら、そう、夜だ。夜の優くてどこか落ち着く空気がとても良く似合う少女だった。
「君、この近くの人?」
「うん、歩いて10分くらいのとこに住んでる」
「なら、明後日また。今度はそこの公園で歌おうと思っているんだ。今日と同じくらいの時間に」
「よかったら、聴きに来ない?」願ってもない申し出だった。僕はキドのように重度の音楽好きというわけではない。流行の曲をたまに気まぐれに聴くぐらいだ。
それを、めずらしく彼女の曲には酷く惹かれていた。できるのならまた聴きたいと思っていたところだった。その魅力的な申し出に間髪入れずに返事をする。
「もちろん、行くよ」


それから週に1、2度、彼女の歌を聴きに行くようになった。場所は公園だったり、錆びれた商店街の片隅だったり様々だったけれど、時間はいつだって決まって夜だった。
彼女の歌の不思議な魅力に惹かれた人は多いのだろう、観客はだんだんと増えていった。しかし人が増えても彼女のライブは穏やかで、いつだって静かに旋律は流れていた。
ライブが終われば、僕は一人残って少しばかり彼女と他愛も無い話をする。
彼女はとても博識だった。よく知ってるね、と漏らせば、「いろんなものを見てみたいんだ」そう言って笑う。
殊に、音楽に関しては何でも知っているように思えた。最近のアイドルから、遥か昔のアメリカのロックナンバーまで。ちなみに巷で噂の如月モモのファーストシングルは知ってることには知っているが、あの甘ったるい歌詞が苦手らしくてあまり聴かないらしい。とりあえず明日キサラギちゃんをそのネタでからかってみようと思う。
「君に知らない曲なんてあるの?」
「そりゃあ、あるさ。でも音楽は大好きだからね。選り好みせずなんでも聴いているから、知ってるのは多いと思うよ」
「如月モモの曲は苦手なんじゃなかったっけ?」
「あれは別」
ぺろり、と舌を出して笑う。茶目っ気もたっぷりだ。
僕の幼馴染にも音楽好きな奴がいると伝えると、「その人の好きなアーティストとかわかる?」と興味深そうに聞いてきた為、キドの好きなバンドをいくつか上げる。僕がキドからそのバンド名を聞いたときはどれも馴染みの無い名前ばかりだったのに、どうやら彼女は全て知っているようで「私もそのバンド好きなんだ!」そう言い、目を輝かせてきた。本当に君は何でも知ってるなあ。キドと話が実に合いそうだ。
「君も聴いてみてよ。本当に良いバンドだからさ」
「そうだねえ…今度CD借りてみようかな。
僕の幼馴染、君とすごく話が合いそうだ」
「本当?それは是非話してみたいね」
「きっと君の歌も気に入るよ」
そう告げると、嬉しそうに笑った。「おだてても何も出ないよ?」いやいや、そんなんじゃないさ。だって君の歌は本当に素敵なんだ。キドだって絶対気に入るに決まっている。
けれど、結局彼女にキドを紹介することはなかった。なんとなく、もったいないような気がしたのだ。一番はじめに彼女を見つけた特権というか、もう少し彼女の歌を独り占めしていたかったのかもしれない。


彼女と出会って彼女の歌に惹かれて、数週間が経った。この頃には僕らは随分仲が良くなっていて、彼女のライブが終わり観客達が捌けてから、もう一曲演奏してくれるようになっていた。観客は僕一人。僕のためだけに歌われる歌だ。
「君の歌は、星に似ているね」
「星?」
星に似ている、だなんて、なんてポエミーだろう。普段なら決して言わないような言葉だけれど(実際、シンタローくんの秘蔵フォルダにそんな詩やらが入っていたら僕とエネちゃんはきっと笑い死にする)、夜のテンションとでもいうのか、普段よりさらに饒舌に、言葉は出てきた。
「夜空に輝く、星。決して自己主張するのでもない、誰に見てもらおうと気張っているのでもない。ただそこに瞬いているだけ。けど、人々はそれに惹かれて、導かれるんだ。
君の歌はそんな星々みたいだよ」
「星、かぁ。私の歌って、そんなに良いもの?」
「僕は、好きだよ。
君の歌は、言葉は、大層なものでも立派なものでもないけれど、なんだかすごく優しくて、こう―心にすとんと落ちるんだ。それで、その一つ一つが輝いて、星みたいに僕を導いてくれる。そんな感じの歌だ」
「そんな役割をする人のこと、私は知ってる」

「ハーミット」

「日本語では、隠者。でも、西洋の意味合いではちょっと違うかな。
ようは仙人みたいなもので、暗闇を照らして人々を導くんだ」
ハーミット。脳裏に暗闇を手にした洋灯で照らす、フードつきのローブを纏った老人が浮かんだ。確か、タロットカードの大アルカナの9番。(何でそんなこと知ってるかって、僕らの中二病患者である団長がそういうの好きだからさ)
「私ね、そんな歌が歌いたかったんだ」
嬉しそうに、実に嬉しそうに彼女は笑う。思えば、彼女はいつも笑っていた。笑顔以外見たことがなかった。そんな彼女の笑顔に照らされている。 大丈夫、歌えてるよ。


ライブを聴いて、他愛も無い話をして、僕の為に演奏をしてもらって。
夜の似合う少女とのそんな交流は、何故だかずっと続くものだと思っていた。
「そろそろね、私違う所で歌おうかと思うんだあ」
「え、」
いつものようにライブを聴き、話の合間に奏でられた歌を聴いていた。そんな時、ふいに彼女がそう告げた。
どこで歌うの、そう問おうとして止めた。できなかった。
その違う場所というのがここらへんの新しい場所というわけではないということがわかったからだ。
彼女は酷く悲しそうに笑っていた。
「な、んでさ」
「んー、ちょっと事情があってねー」
あっけなく、ずっと続くと思っていた日常は崩れさる。なんとか引き止めなくてはと思い、いつもの笑みを貼り付けて、ぺらぺらと話しだす。
「ちょっと、もうちょっと待ってよ。
ほら、前君に話した幼馴染、今度紹介しようと思ってるんだ。だから、もう少し、」
「ごめん」
へら、と眉を下げて彼女は笑う。
「発つの、明日なんだ」
何故そんな急に、と問うても、いろいろあって、としか彼女は答えない。
いろいろってなんだろう。真っ白になった頭で考える。いろいろ。目の前の少女のいろいろ。思えば僕、この子のこと何も知らないなあ。
「だからね、今日は君に餞別をと思って」
一度下ろしたギターをもう一度担ぎなおす。
「新曲ができたので、一番に君に送ります」
じゃらーん、と一度ギターを掻き鳴らす。
餞別ってなんだよ、普通反対なんじゃないの。笑おうとしたけれど、代わりに涙が零れた。急いで能力で欺こうとするけれど、途中で止めた。なんだか馬鹿らしくなったからだ。
いつものように君は歌いだす。僕は君のこと何も知らないけれど、君の歌がやさしくて、あたたかくて、真っ直ぐなことは知っている。それに惹かれた人がたくさんいることも。
それだけで十分だと、次第に思えた。
彼女の歌い声はいつもと違って少し震えていたけれど、それでもやっぱり僕の大好きな旋律だった。最後まで、僕の惹かれた星のような歌だった。


それから数年たった。
今でも僕は彼女のことは忘れていない。彼女の歌を忘れていない。
今でもたまに口ずさむ、彼女が僕に聴かせてくれた歌々を。それを聴いたキドに「良い歌だな、なんて曲だ?」なんて聞かれたこともあった。やっぱりキドも気にいったか、そのことに満足し、同時に自分はこの曲を知っている数少ない人数のうちの一人なんだという優越感を覚える。「えー、秘密」なんてぷふと笑いながら言ったら、いつものごとく脇腹を蹴られた。どれだけ経ってもキドは僕に対して強暴だ。
キドが好きで、彼女も好きだといった「聴いてみてよ」と薦められたバンドの曲もよく聴いている。今では僕が最もよく聴くアーティストとなった。そのバンドを聴く度に僕は彼女を思い出す。
それ でも、やっぱり彼女の曲以上に心を揺さぶる歌はなかった。もう一度聴けないものか、そう思いながら、今日も僕はイヤホンを耳に押し込み、例のバンドを聴き続ける。

時が過ぎれば街も変わる。
彼女がよく歌っていた錆びれた商店街は取り壊され、代わりに大きなデパートが建設された。それに合わせるように大きな道がつくり直され、さらにビルが建ち、随分と賑やかな街並みとなった。
例のバンドをきっかけに、キドには及ばないけれどそこそこ音楽を聴くようになった僕は、今日も新しいビルにできた大手のCDショップに足を運ぶ。そういえばこないだキサラギちゃんの新しいアルバムも発売されたんだっけ―。相変わらず甘ったるい歌詞の曲だ。もっとも本人は不本意らしいけれど。
ビルに大きく張り出されたキサラギちゃんのポスターをちらりと一瞥し、足をCDショップへと向ける。―ふと、慣れしたんだイングリッシュロックの隙間から、懐かしい声が聴こえたような気がした。
はじかれたように顔を上げると、目に入るのはビルに取り付けられた、大きな液晶。耳に嵌めたイヤホンをゆっくりと外す。
そこでは、懐かしい彼女が、変わらない旋律を、のびのびと歌っていた。
「…また、会えたね」
液晶に映し出された、ギターを弾く彼女。相変わらずやわらかく笑みながら歌を歌う。耳に流れ込んできた旋律は、最後に僕に聴かせてくれたあの曲だった。記された曲名は「Hermit」。
何年経っても変わらない、やさしくて真っ直ぐな君の歌。こうして、また多くの人が君の歌に惹かれていくのだろう。そうして君の曲はこれからも星々のように煌き、導いてくれるのだろう。暗闇で人々を導くハーミットのように。



僕は君のファンとなれたことを誇りに思う。
ありがとう。
少しの間だったけれど、近くで君の言葉を聞けてよかった。