「縢、縢」
「なあに、ちゃん」
「縢はどうして潜在犯になったの?」
「どうしてって…そりゃあシビュラのお気に召さなかったからで、」
「そうじゃなくてね、
どうしてシビュラシステムはカガリを危険とみなしたの?」
「それがわかってりゃ苦労しねえよ。
さっさと直してこんなとこ出てってらあ」
「ふーん」
ちゃんは?」
「え?」
ちゃんは違うの?」
「うん。
私はね、前世の記憶があるんだよね」
「前世の記憶?」
「そ。前世、私は潜入暗殺お手の物の忍だったわけよ。東から西へ、北から南へと跳び回り、主君のために邪魔者を排除するひじょーに優秀な忍。
そんで、シビュラ様はその記憶を暗愚な妄想の類とみなし、そんな 妄想をする私は危険だと認識されたってわけ」
「へえ。
忍っていうと、戦国時代とかなんか?」
「そ。まさに時は戦国時代!シビュラシステムも何もなくて、自分の力だけでのし上がっていけた時代よ」
「それは素敵だ。俺もその時代なら自由に好きにやれたのになー」
「一緒にお忍、やろーうぜ。
…ね、正直にさ。縢は私が前世の記憶あるって信じる?それともやっぱりただの妄想だと思う?」
ちゃんがいうなら本当の前世の記憶なんじゃねーの?」
「信じるの?」
「俺はシビュラシステムなんかより、自分の大切な人の言葉を信じるよ。
それに、そっちの方が面白れーじゃん?」
「…本当はね、自分でもよくわからないんだ。誰かに仕えていたって記憶も、人を斬って貶めて殺してって記憶もある。自分が誰かにしたように、誰かに殺されたって記憶も。けど、それがシビュラのいうようにただの妄想じゃないって証拠もないんだ」
「だったら、前世の記憶でいいんでねーの?」
「…そっちのが面白れーから?」
「そ!こんな自由もくそもないところ、せめて面白れーことは少しでも多いほうがいじゃん?」
そう言った彼の笑顔は、潜在犯だなんて思えないほどに明るくて、眩しくて、安心して…



「…さん、児嶋さん!」

自分を呼ぶ声に意識を引き戻される。
ハッとして横を向けば、心配そうな目をした常守監視官。通常であれば彼女は、こんなにも監視官に向かないような目をするのだ。

「すみません、少しぼうとしていました」
「大丈夫ですか?」
「はい、色相以外なら、全ていたって良好ですよ」

自嘲するように口角をあげ、手元のボックスにデスクの上の荷物を次々と詰めていく。
先日、縢秀星の捜索が打ち切られた。何が理由でかはわからないが、上のお偉いさんたちは縢を死んだものと決定付けたのだ。もちろん疑問も不満も山ほどあるが、執行官であり潜在犯である私に口出しもできるはずがなく、こうしておとなしく縢秀星のものであったデスクを片付けるほかないのだ。
たんたんと、他のデスクよりも彩りに満ちた荷物を詰めていく。胸はきりきりと痛んだが、涙は出なかった。出すタイミングは見失ってしまった。
縢が死んだなんて、はじめは信じちゃいなくて、なのに段々と縢秀星は死亡したという事実は決定されてゆき。彼の生と死の狭間は実に曖昧だ 。
涙は出ない。胸は痛い。ただ縢はもうここにはいないのだという事実だけが私達に押し付けられた。
縢にはもう、会えないのか。

「児嶋さん?」

心配そうな声が、再度かかる。
優しい人だ。私達潜在犯を同じ人間として扱ってくれる、優しい人。この人に心配をかけてはいけない。

「常守監視官」

心配かけてはいけないのに。

「縢は本当に、死んでしまったのでしょうか」

彼女の目を真っ直ぐ見つめて言葉を放つと、その目は見開かれ、揺れ、俯かれた。
微かに震えた小さな声が空気を震わす。「上は、そう決定付けました」

「…そうですか」

唇を強く噛み締める。上は、そう決定付けた。その決定が真実だと証拠付けるものは何も無い。
だから縢はまだ完全には死ねない。死にきることすらできない。
潜在犯には、ちゃんとした死すらも与えてもらえないのか。
口の中に血の味が広がる。
それにハッと気がついて、荷物整理を再開する。ふと伏せた目を上げると、俯いた常守監視官の手に握られたゲーム機が目に入った。

「…常守監視官」
「はい」
「それ、」
「え?これ?」
「それ、私がもらっては駄目ですか」

ところどころ剥げた、少し古いゲーム機。制限された息苦しい生活をそれでも最大限に楽しむため、縢がシビュラシステムに求めたもの。
この部屋にいるとき大抵彼の手の中にあったそれが、酷く欲しかった。
こくりと一つ頷いた彼女がそっと手渡したゲーム機を、胸にぎゅうと抱く。

「児嶋さんは、縢君が好きだったの?」
「大好きだった」
「…」
「でも、恋慕の情ではありません。友愛でもありません。確かにそこに愛情はあったし、そういう行為もしたけれど、ただの“好き”では言い表せないんです」

あの日縢と話をした日から、私は縢に異様に懐いた。どこへ行くのも大抵くっついていった。
征陸さんからまるでカルガモの親子だと言われたこともある。なのに、どうしてあの日に限って私は縢の後をついて行かなかったのだろう。

「彼は、縢は、私のことを認めてくれた、唯一の人でした。」

彼は私の親で、神で、絶対で、全てだった。彼がいればなんでもよかった。彼がいたからこのクソみたいな世界でも生きていけた。

「縢のことが大好きでした」

縢、縢。どこに行ったの。私を置いていかないで。帰ってきて。ねえ。
あなたが帰って来ないと、私は涙も流せない。

「縢には、もう会えないの…?」
「児嶋さん」

常守監視官に肩を掴まれる。その手は熱くて、震えていた。俯いていた顔を上げると、彼女は泣いていた。

「縢くんは、死にました」

目を見開く。
彼女は変わった。はじめの何も知らない無垢で純粋な常守朱はもういない。
暗い顔をするようになった。何かを思いつめるような、悩むような顔をするようになった。
彼女は私達に何かを隠している。それも、とても重いものを。狡噛さんが消え、宜野座さんが執行官落ちし、彼女は一人でとてつもないものを背負わなくてはいけなくなった。
しかし、根っこのまっすぐなところは変わって居いない。まっすぐて、私達にはない輝きを、彼女は失ってない。
常守朱は、こんなことを冗談では言わない。
そうか、縢は死んだのか。何故彼女がそう言い切れるのだとか、彼女は何を知っているのだとか、そんなことはどうでもよかった。
ただ、上から縢の死亡を押し付けられたときよりずっと、その言葉はすとんと私の胸に落ちた。
縢は、死んだのか。

「……っ」

どんなに彼のことを想っても流れなかった涙が、ようやく頬を滑った。
溢れて、溢れて、止まらない。
彼女は堰を切ったように、私を抱きしめた。あたたかい。
肩に湿った感触を感じる。声は上げなかった。ただただ、静かに涙していた。
貴方が縢の死を知らせてくれた。だから私はようやく泣くことができた。貴方は悪いことなんてしていない。だから、小さな声で謝罪なんて呟かないで。
そうしてしばらく、私たちは互いに抱きしめ、涙を流していた。



「ねぇ、常守監視官。シビュラシステムってなんなんでしょうね」

彼のゲーム機を抱えながら、エレベーターを待ちながら彼女に問う。
彼女は唇を噛み締め、重たそうに頭を振り「…わかりません」小さく呟いた。

「まぁ、なんだって大嫌いですけど」
「大嫌いなのに執行官として、シビュラの下で働くんですか」
「はい。縢がそうしていたから」

私には縢しかいない。ただの潜在犯としてあの白く狭い部屋でだらだらと生を貪るより、彼のいた世界で生きたい。彼の名残を感じて、彼の傍で生きていたい。
私は、縢がいないと生きていけない。

「シビュラはいつかなくなります」

先とは違って、力強い声が聞こえる。目を彼女へ向けると、赤くはれながらも、光の宿った真っ直ぐな目をしていた。

「いつか、必ず。シビュラのない世界がやってきます」
「…それじゃあその日まで、私は貴方の下で働かせてもらいますよ。常守監視官」

いつか、縢の望んだ、私達の願った世界がやってくるその日まで。

「縢の代わりに、狡噛さんーコウちゃんやとっつぁんの代わりに、貴方を、みんなを守らなくちゃ、ね。
ねぇ、朱ちゃん」

目を見張る常守監視官にへらりと笑う。私は縢のように笑えているだろうか。
じゃあね、と手をひらりと振り、やってきたエレベーターに乗った彼女を見送った。
私には縢しかない。いらない。
だから、そんな世界はもうどうでもいいのだ。
自分の未来を好きなだけ迷って、決められる世界。色相なんて気にしなくても良い、私達たちも青空の下、どこにだって好きなように行くことのできる、自由な世界。
シビュラの消えたそんな世界。もうどうでもいいよ。
だって、それを一番願った彼は、自由な青空の一番良く似合う笑顔は、もう無いのだから。